2009年5月16日星期六

趙紫陽 執念の「遺言」

趙紫陽 執念の「遺言」
配信元:
2009/05/16 01:39 産経デジタル


民主化要求運動を武力で鎮圧した北京の天安門事件から6月4日で20周年を迎えるが、事件で失脚した中国共産党の趙紫陽(ちょうしよう)元総書記が事件の経緯や中国の民主化などについて語った“執念の回顧録”が15日、出版された。類書はこれまでも出版されているが、今回は初めて、約16年の自宅軟禁期間中に厳しい監視の目をかいくぐって密かに録音された趙氏の肉声が文章化された。武力行使は最高実力者の●(=登におおざと)小平(とうしょうへい)氏(1904~97年)が命じたことなどが生々しく語られている。

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 本のタイトルは「Prisoner of the State(国家の捕囚)」(英語版)。香港で15日から発売され、諸外国でも主に19日から店頭に並ぶ。中国語版も今月末には出版され、版元の米国のサイモン&シャスター社は中国本土での発売も申し入れたが、拒絶されたという。

 ■30時間の録音テープ

 AP通信によると、録音は30時間以上にに及び、趙氏が短時間ごとに区切って数十本のテープに吹き込んでいた。将来確実に世に出ることを望んだ趙氏は、警戒してテープにはタイトルを付けず、複数の信頼できる知人に分散してテープを託し、中国から持ち出してもらっていた。趙氏の死後、分散したテープを集めるのに2年、さらに編集作業に2年かかったという。

 学生がハンストまで始めるなど民主化要求運動が激化する中、趙氏は事件前の1989年5月17日、●(=登におおざと)小平氏の自宅で開かれた党政治局常務委員5人と●(=登におおざと)氏との会議で、運動の武力鎮圧には断固反対したが、投票も行われずに●(=登におおざと)氏の独断で、戒厳令布告と発砲を前提とした地方の人民解放軍部隊の北京への移動が決められたという。

 ■武力鎮圧 ●(=登におおざと)氏の独断

 「その(17日)夜、私はかつてないほど動転した。そして6月3日の夜(から4日未明にかけて)、家族と自宅で町中に鳴り響く銃声を聞き、世界を揺るがせる悲劇はもう避けられないと思った」と趙氏は語っている。また「(中国が)現代化したいと思うなら、いびつな形態の市場経済を続けるだけではなく、議会制民主主義を採用しなければならない」と政治改革の必要性を訴えている。

 AFP(フランス通信)によると、趙氏の政治秘書だった鮑●(=杉の木へんを丹に)(ほうたん)氏は回顧録について「これは紛れもなく趙氏の渾身(こんしん)の遺言だ」と話している。

                 ◇

 ■趙紫陽 1919年10月、河南省生まれ。38年に中国共産党に入り、広東省など地方の幹部として活躍したが、文化大革命で67年に失脚。しかし、71年に復活し、最高実力者の●(=登におおざと)小平によって80年に首相、87年に党トップの総書記に登用された。天安門事件後の89年6月、「動乱を支持し、党を分裂させた」としてすべての職務を解任され、自宅軟禁下に置かれた。2005年1月、85歳で死去。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/254321/

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